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完全版
解体と、その奥にある理(ことわり)
柱時計をバラバラにしては叱られた子供が、なぜ万年筆を削るようになったのか。
木曽平沢の家屋修繕から、父との言葉、そして「濃い青」の深淵へ ――
一本のペンに至るまでの道のり。
壱 解体と、その奥にある理
1971 — 2008
1971年、宮城県古川に生まれ、幼少期に両親が魅了された信州・塩尻へと移り住みました。
子供の頃の私は、柱時計やミシンをバラバラにしては元に戻せなくなり、よく叱られていた記憶があります。
ただ「物がどうなっているのか、その奥にある理を知りたい」という欲求のままに動いていました。
工作も好きでしたが、それ以上に物を壊してしまう。あまりに失敗を繰り返すうちに、いつしか自信を持てないまま大人になりました。
そんな私を少しずつ変えてくれたのは、家屋の修繕の仕事でした。
主な現場は、木曽平沢地区。漆器の街として知られるその地域には、高齢の方、漆職人、漆屋を営む施主様が多く暮らしていました。
屋根の雨仕舞いや雨漏りを直し、壁面を修正する。
彼らの大切な仕事場や暮らしの器を自分の手で一つひとつ直していくうちに、施主様から「ありがとう、本当に助かった」と、言葉をいただく機会が増えていきました。
誰かの役に立てたという確かな手応えは、不器用
で自信のなかった私の心を少しずつ潤してくれた。
2007年頃、私は小さな旋盤を購入し、独学でペンを削り始めました。きっかけは、がんで闘病していた父の存在でした。
喉頭がんを患った父は声帯を切除しており、私たちとの意思疎通は、紙に文字を書き記す筆記だけが頼りでした。
「父に、使ってもらいたい」という一心でペン造りに没頭しました。
しかし翌年、父がホスピスに移ると、通う日々のなかで製作に割く時間はなくなり、私の手はぴたりと止まりました。
そこから長い休止期に入ります。
今振り返れば、あの空白は、私にとってペンを造る意味を深く考えて熟成させる、必要な時間だったのだと思います。
弐 原典(自然)の中に還る
2016 — 2020
2016年、娘が生まれました。新しい生命の誕生に直面したとき、
私は「自分自身の中を見つめ、内奥を引き出してくれるようなペンがほしい」と強く思い、再び旋盤の前に立ちました。
遺された父のメモを見返すたびに、「あのとき、もう少し父の内面を伝えてほしかった」という、言葉にならなかった切実な願いが胸に去来したことも、私を突き動かしました。
自分の考えを書き記すには、やはり万年筆でなければならない。
私の中には、そんな強い思い込みがありました。
しかし、初めての万年筆の製作は全く何も分からず、すべてが手探りからのスタートでした。
基本構造を知るため木に穴をあけて確かめ、それに合わせて頭の中にあるイメージの形を何点か製作してみては、
実際に手で触ってその確認を繰り返し、少しずつブラッシュアップしていきました。
試作を重ね、ようやく『静謐』と『漆黒の森』という最初のモデルが形になりました。
これが「綴り屋」の本当の始まりでした。
父が自分を、想いを、想い出
……時を綴ってほしかった。
その叶わなかった、けれど今も私の中に静かに流れ続ける願いが、この「綴り屋」という名に、そして私のものづくりの原点に込められています。
本格的な筆記具の製作へと完全にシフトする転機となったのは、2019年末から2020年にかけてのことでした。
世界的な感染症(COVID-19)の流行により、それまでのように木曽平沢に通い、高齢の施主様たちと対面して家屋の修繕を行うことが難しくなってしまったのです。
自分自身の生活もまた先行きが見えず大変な時期でしたが、同時に、それまで家屋の修繕でお世話になってきた、地元の漆職人たちの厳しい現状も頭をよぎりました。
そんな祈るような想いから、私が削り出した万年筆に地元の職人が漆を施す、共同の取り組みを少しずつ進めています。
かつて家屋の修繕の折、木曽平沢で漆の作業を目の当たりにしたとき、私は人間と自然の本来のあり方に想いを馳せました。
傷つき歪みながらも過酷な環境を生き抜く樹木に、その傷を自ら癒すための漆がしっとりと重なっていく。
その静かな生命の治癒の営みを目の当たりにしたとき、私はものづくりの傲慢さを捨て、ただただ自然への畏敬を抱くようになりました。
本来、人は自然を創り出すことはできません。
また、ゼロから何かを創造することもできません。
私たちはただ、この地球上にすでに存在している圧倒的な美や魅力を「発見」し、その恩恵を一時的にお借りして、形を組み合わせて他の誰かへと伝えていくことしかできない存在なのです。
人間は、自然界に存在しない「直線」を見るだけで、無意識に緊張を覚えるといいます。
だからこそ、信州の厳しい自然を生き抜き、歪みながらも育った木々の「節」「瘤」「傷」といった杢目の自然な揺らぎ、そして自然の樹液がもたらす漆の深みは、
強張った心に一片の安らぎを与えてくれます。
その揺らぎと深みこそが、日常の緊張をそっとほどき、自分の内奥を見つめる助けとなる気がするのです。
参 「内奥」を伝える、割り切れない執念
哲学 — なぜ、すべてを自らの手で
筆記具を製作する中で、いつも心に問いかけていることがあります。
「本当の価値とは何か? その内奥(本質)を、どうすれば伝えることができるのか?」
私たちの心や、自然の神秘には、言葉だけでは割り切れない感情や美しさが存在します。
だからこそ、万年筆の『月夜』や『静謐』、誠実な自己を見つめる『真我』などは、その割り切れない気持ちを、決して割り切ることのできない「素数」に関連付けてディテールを形作っています。
他社に負けない強みは何かと問われると、「手間がかかりすぎて、むしろ負けているのではないか」と自嘲気味に思うことがあります。
そもそも、部品を他所に外注するという発想自体がありませんでした。
ロットで発注する資金の余裕もなく、人に自分の設計を伝えるための図面すら、当時は曖昧にしか描けなかったのです。
しかしそれ以上に、私の中に薄々残っていた、父からのある言葉が影響していたのかもしれません。
「プラモデルは本当のモデルではない。自分で
材料を探し出し、一から作るものだ」
幼い頃に言われたその一言が、私のものづくりの根底に深く根を張っていました。既製品のパーツを買い揃えて組み合わせるのではない。
不器用であっても、素材そのものと対峙して形にする。
木のほか、永く使うほどに艶を増すエボナイトという素材も併せて用いています。
なぜここまで全ての工程を自らで行う「内製化」にこだわってしまったのか。その疑問の答えは、遠い日の父の言葉の中にありました。
当時は、工房に一人引きこもり、誰とも話さずに刃物を研ぎ、素材を削る日々には、時に底知れない孤独が伴いました。
当時は、工房に一人引きこもり、誰とも話さずに刃物を研ぎ、素材を削る日々には、時に底知れない孤独が伴いました。それでも、内側から湧き上がる衝動のままに、一寸の狂いもないラインへと追い込んでいく。
そうして激しい試行錯誤の末にようやく出来上がる「ファーストモデル(最初の型)」には、時に自分自身でもどうやって完成したのか説明がつかないことがあります。
自分の技術を超えた、何か大きな力に後押しされて生まれたかのような一本。
それは自分の手柄というよりも、どこか神聖な
ものとして、手をつけずにそっと捧げておきたくなる。
だからこそ、私はその一本の感覚をもう一度手探りで追い求め、孤独の中で再び試行錯誤を繰り返すのです。
四 — 結び — 自分を書き記す旅
「濃い青」の深淵へ、自分を書き記す旅
削り出しの瞬間、頭から余計な雑念が消え、ただ目の前のラインに没頭する「無心の時間」が訪れます。
完成した一本を手に取るとき、私は光が届かなくなる一歩手前の、深く濃密な静寂が支配する「濃い青」の世界に、指先が微かに触れるような感覚を覚えます。
この、ものづくりを通じて私が辿り着く「雑音のない静かな世界」を、今度は手にしてくださる方にも手渡したい。そう願っています。
私たちの日常には、正体のわからない思考や、言葉にならない感情が泡のように浮かんでは消えていきます。
かつて家屋の修繕で、雨漏りを直し、施主様の穏やかな日々にそっと寄り添ったように。今度はこのペンが、あなたの内なる静寂に寄り添い、言葉にならない大切な想いを取りこぼさずに書き留める存在でありたい。
私が削り出す道具は、単なる筆記具ではありません。
日常の雑音を静かに消し去り、あなた自身の深い場所(深淵)へと潜っていく。
その時間を共にする、静かな伴走者でありたいと願っています。
「あなたの沈黙に、最も近い場所で」
